いま、図書館に求められるもの 予告編

ひつじ書房で2009年の3月に刊行予定の『いま、図書館に求められるもの―フェリス女学院大学の挑戦1』の予告編です。

枕草子源氏物語研究で第一人者でありフェリス女学院大学附属図書館長でもある三田村雅子先生のインタビューからの一節を予告編としてお届けします。まだ、手を入れていただく前のものですので、きちんと整ったものではないことをおことわりしておきます。


読書の危機の時代の中での取り組みだった

 それは、この講演会のときも、ちょっと言ったんですけれども、結局、読書運動を始めた6年間、今年7年目なんですけども、その6年間という年月が、実は日本の読書っていうことの枠が本当に崩れてきた。それ以前から崩れていた。読書離れとか言われてきたんだけども、もう本当に大きく崩れてきた5、6年間だったんじゃないかなっていうふうに思っていて、それは、どこの図書館でも同じだったと私は思っているんです。
 読書っていうこと、教養とか、そういうことの枠組みそれ自体が、本当に崩れようとしていった、その5年間を、現場にあって、読書ってどうなのかっていうことを考えながら過ごした5年間だった。それは意味があったんじゃないかなというふうに思っていて、どう本を読むっていうこと、本を読むことも、私は技術だというふうに思うんですけれども、本を読むこと、読む習慣とか、読む日常とか伝統とか習慣とか、そういうハビットスとしての読書ですよね、そういうものが失われていく。家庭の中でも、学校でも、職場の中でも、どんどん失われていく、そういう状況の中で、なおかつ本を読むっていうことが、実は楽しいことであり、すごく意味があることだっていう、そんなことが次第に忘れられてるけれど、でも、実は、すごく大事だって、みんなが、やっぱりもう一度考え直そうとしている、そういう5年間でもあったって。
 だから、危機、読書の危機なんですし、全体的に衰退していってるんだけれども、でも、その衰退していく状況の中で、何が、やっぱり一番大事で・・・。やっぱりコンピューターや、そういうもので代換可能だし、そちらのほうがより有効であるものも、たくさんあります。だけど、有効なものは切り替えていけばいいわけだけど、でも、切り替えることができないものっていうのがあるんじゃないか。その切り替えることができないものがどこにあって、それをどういうふうにやることで、なおかつ生きてるものとして伝えていくことができるかっていう、そういうことを考え、本当に考え続けた。どうしたらそうなるのかっていうことをいつもいつも考え続けたっていう、そういう日々で。
 それは、やっぱり、うちの大学が試行錯誤して、なかなか数値的には必ずしも、努力したけど、上がってるわけじゃない。それじゃ、全然やらなかったのと同じかっていうふうにいうと、そうじゃなくて、努力しなかったら、もっとがくっと下がってたかもしれない。それを、やっぱりあるところでとどめたってことと、やはり数値以外のところ、数値に出なかったところで、やっぱり読書の豊かさっていうものをもう一度大事にしていこうとする動きを出せたし、それは、大学の中で、そういうふうに動いてるっていうことが、やっぱり大学の先生たちみんなの中で、とても意味があることで、やっぱり先生たちが、そのことを一つの誇りとしてくれた、学生自身も、そのことを一つの喜びとしてくれたっていう、こういう時間を長いこと持てたっていうことが、とても意味があるので、それをやっぱり訴えていけばいいのかなっていうのが・・・。