本を巡る議論
突然ですが…
本を巡る議論として2つの層があるのではないか。
1)内容・コンテンツが、持っているそのものの意味と社会的な意味
2)本という機能が持っているそのものの意味と社会的な意味
ある意味で、社会的な意味がはっきりしている内容のものであれば、本の機能についての議論は見えない方がよい。
美しい水鳥は、水面下で懸命に動かしている足は見せない。見せない方が鳥の美しさは引き立つ(かもしれない)
話しがずれるがワインはどうなんだろう。
おいしさというのもずば抜けているとはいうものの、味わうためにはうんちくは必要だ。内容とそれに対する語りは付随している。
多くの人が、細かいリテラシー抜きで「これはすばらしい」といえるものであれば、それを届けるメディアは透明であった方がよい。
しかし、その評価が割れてしまった場合、2)から問い直されてしまうから、それについての説明が必要になる…。