ラボ教育センター40周年

ラボ40周年ということで、パーティに参加した。知り合いは凡人社の田中社長だけで、他の参加者は知らない方ばかり。おかげで、田中社長とゆっくり話しができた。
お土産にもらった「ラボ教育活動40年史年表」を見ると、定村忠士さんの名前があった。どこかで見たようなと思っていろいろ考えてみたが、googleで検索してみると日本エディタースクールの代表をしていた方であった。
どういう縁なのだろう。
英語教育のパイオニアであるラボを育てた人物が、エディタースクールを作った人でもあるということ。ラボは、音声教育の要素が強いが、それが活字に向かったのはどういうことなのだろう。
組織の年表は、無味乾燥のように思うが、ここにも人間のドラマがあるのだろう。