大阪府立中之島図書館のメモ

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出版概論1の授業

私は、現在、日野にある女子短期大学で、「出版概論」の授業を受け持っている。

(このことはきちんと報告したいので、ここは書きかけです。)

15回の授業の前3分の2で、小冊子を作った。グループを作り、グループを会社と考え、社長と編集長と営業部長を設け、雑誌名と特集名を考え、コンテを作り、下原稿を作って、コメントし、原稿を仕上げて、そして、コピー機で印刷して、中綴じホチキスで製本する。

それを10回目の授業で、それぞれの冊子に値段を付け、そして、心付けを交わし、その心付けの1人当たりの平均で順位を付ける...

複数の人数で、企画を立て、原案を作り、コメントし、作り上げて、売り、買う、というところまで。

ささやかなものだが、みなが冊子を作った。

その後の3分の1の授業は実際の現場を見たり、現場で働いている人の話を聞く。昨日は、平凡社さんにみんなで訪問した。



その後は、別の出版社の文芸編集者の方に話をしていただき、その後は、地元(立川)のフリーペーパーを去年作った方にも話をしていただく予定。

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シラバスを載せます。

第1週 2人組で自己紹介
第2週 クラスで自己紹介、どういうものを作りたいかを公開
第3週 グループ作り 会社名、社長、編集長、営業部長を決める
第4週 小冊子の作成 会社発表、会社ごとにテーマの議論
第5週 小冊子の作成 目次・構成→発表
第6週 小冊子の作成 コンテの発表・本の仕組み1(紙)
第7週 小冊子の作成 下原稿
第8週 小冊子の作成 原稿を完成させる
第9週 小冊子の作成 実際に印刷できるようにする
第10週 発表、合評会(売りと買い、ゲストのコメント)
第11週 出版社訪問(神保町 平凡社
第12週 企画・編集の実際 女性編集者の話
第13週 企画を書く課題の説明 
第14週 企画・編集の実際 地元のフリーペーパーを創った方(〒190)
第15週 企画書を提出する+授業のアンケート

並行して池上彰『新聞勉強術』(ダイアモンド社)を読んで、章ごとにキーワードを抜き出すことと、実際の新聞の切り抜きとコメント書き、担当者が発表を行っています。

ギデンズの本を読んで考えたこと。

ギデンズの本を読んで考えたこと。

モダニティの時代は、考え方として、所有から共有、固定から流動へとのシフトが起こった。私は、実態としてそうなのではなくて、考え方としてそうなのだと思う。そういう時代に、知識は所有するより、必要な時にとってくればいいという「引き出し」的知識観に変化した。

本当は、知識は自分自身に蓄えていないと使えないのが実際だが、知識を蓄えていた方が偉いという発言が時代遅れのように見えてしまうのがギデンズのいうところのモダニティの時代の特徴だ。

そういう時代に、保存性、無変化性、固定制という考えに基づいて作られる書籍という存在は、会わない。しかし、実際には保存性、無変化性、固定制は、今でも重要だが、重要だということを発言することが時代遅れと捉えられてしまうということだ。

そういう認識であれば、書籍は、草双紙化するということだが、学術書は書物なので、矛盾する。とすると、章ごとに草双紙化しつつ、一冊の保存物は、別に保持しておける方法を模索するしかないか。それは芸術的なオーラをつけるしかないか。

あるいは、芸事のように参加する人が負担するか。学芸化。趣味の高度化ともいえる文学研究は可能かも知れないが、科学を志向している言語学のようなものの場合、学芸化は科研費主義とは矛盾するので、科学主義とは相容れないか?

しかし、科学コミュニケーターというものが、本当になりたつとしたら、科学芸人というものが生まれることだから、科学の学芸化というものも不可能ではないか?

これは、お分かりだと思うが、ネット時代の編集者というもののあり方についての考察なのです。

オープンアクセスというけれど...

オープンアクセス刊行、ということはどういうことなのかということを考えています。「利用者が対価を支払うことなし」が、オープンアクセスと名付けるべきアクセスなのだろうか?

エルゼビアは行き過ぎにしても...

sparcは一定の成果を上げたにしろ...

以下は覚えです。

考え中。



http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/022/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2012/04/27/1


オープンアクセス刊行支援(※2)

オープンアクセス刊行とは、利用者が対価を支払うことなしに、研究成果を利用することができる刊行形態とします。また、オープンアクセス刊行のスタートアップを助成対象とすることとし、助成対象となる刊行時期については、3年目の平成27年10月末頃までにオープンアクセス刊行するもの、または平成23年9月以降にオープンアクセス刊行したものを対象とします。

■[図書館][エレクトリック] 「電子ジャーナルと機関リポジトリ、オープンアクセスの根っこは一つ、学術情報流通の問題」・・・国立大学図書館協会北海道地区協会セミナー「次世代ライブラリアンシップのための基礎知識」第2回参加記録



http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20101013/1286951647

電子学術雑誌と電子テキストブック

電子学術雑誌と電子テキストブックの両方について、実験を2012年度には行う予定。一般的な、電子書籍の議論とは違うモノになるだろう。著者の研究者の方々といっしょに実験していきます。


電子学術雑誌には、動画画像を埋め込みたいが、PDFだとflashで埋め込むらしいが、flashは将来的に使えなくなるとのことなので、現在の動画埋め込みPDFに将来的に閲覧が可能かどうかに不安がある。一方で、html5には動画の埋め込みのルールはなく、それぞれの企業(アップルとか)が、それぞれの使用で埋め込んでいるとのこと。


電子テキストブックにも、動画と音声を埋め込みたい。とりあえず、作業が楽なのでiBooksAuthorでと思っているが、最適な選択であるのかどうかは、不安です。


たぶん、InDesignで組んでから、紙の上で校正を行って、問題が無くなってから、本文のデータをはき出してそれをPDFにしたり、html5にする。


現時点での出版デジタル機構のフォーマットは、PDFは検討対象になっていないようだ。html5でマルチ言語表示は対応できるのだろうか。


覚え書きを超えるものではないけれども、記憶のための書き込んでおきます。


●追記
リフロー型電子雑誌の引用の仕方。MLA "How do I cite an e-book?" http://www.mla.org/style/style_faq/mlastyle_cite_an_ebook

ひつじのメール通信をどうぞ購読(無料)してください

年度替わりのこの時期は、あたらしい購読者の方を募る時期ですので、ひつじメール通信の購読のお願いのキャンペーンをいたします。


大学あるいは大学院を卒業して、この4月から学校の先生になる方で、言語学、言語教育、文学研究についてこれからも関心を持っていようと思われる方は、ひつじのメール通信をどうぞ購読(無料)してください。


ひつじのメール通信の購読(無料)は、既卒の方でももちろん、構いません。研究に関心を持ち続けている方で、学会に一つ以上入っている方であれば。


くわえまして、この春から大学院に入る方もぜひ、ひつじメール通信を購読(無料)をお願いします。言語研究、言語教育、文学研究に関わる方であれば、ぜひ。


くわえまして、既に大学院生の方で、ひつじメール通信を購読(無料)されていない方もぜひ。刊行情報や学会の開催情報の他に、学術出版社が、研究者の方に知ってほしい気持ちもお伝えしています。


研究に足を突っ込んでいる方にお知らせする情報となっています。開かれていたいとは思いますが、全くの不特定多数ではなくて、研究にこころを寄せている方のためのメール通信です。


申込みは以下のリンクから、お願いします。


http://www.hituzi.co.jp/hituzi-ml/about-ml.html

書籍の役割

湯浅誠さんの「内閣府参与辞任のご報告(19:30改訂、確定版)2012年3月7日」の中で、ネット上の言論活動に対して、書かれている内容に共感することがありました。そこで指摘されている風潮をどう変えることができるのかが重要だと思います。いろいろなことが書かれているので、この一部にだけに反応することは、まさに批判されている思考方法に似てしまうので、自戒するべきところです。

とはいうものの、一つの点について述べます。ネット上の言論にも反映している思考方法についてです。湯浅さんは、以下の点を指摘します。

○世の利害関係が多様で複雑だからなのであって、単純なものを複雑に見せているわけではなく、複雑だから複雑にしか処理できないにすぎない(ことへの)社会の想像力の欠如
○各種の専門家の意見に謙虚に耳を傾けることの欠如

このような風潮があると湯浅さんは指摘しますが、このことを考えると知的な活動について、何らかの工夫が重要であると思います。私の個人的な希望は、書籍や書籍を巡る編集・出版ということが、その問題を少しでも良い方向に向かわせるために大事なことになるのではないかというものです。

ぱっと見て、自分の中にあらかじめある基準で瞬時に切り捨てるというようではなく、受け止めて、自分の判断とは違う考え方を認めて、切り捨てない発想。それはフローのメディアというより、ストックするメディアの方が親和性が高いのではないかと思うわけです。立ち止まる発想と呼びましょうか。

フローのメディアであっての、ストック的に使うことはできると思います。ストック的ということにも価値を見出すかという点が重要ではないでしょうか。

ネットに情報・言説を公開できることだけでは、望ましい「参加」が約束されるわけでもないし、「知的活動」が促進されるわけではないということです。あたらしいメディアが出来て、その可能性と重要性は認めるわけですし、期待もするわけですが、それで解決になるわけではない以上、従来のメディアをどう使うか、組み合わせて使おうという発想は当然のことだと思うのですが、ネットさえあれば、それでよいという風潮はとても強いもののように思います。

いつも申していることですが、「あれかこれか」ではなくても、「あれもこれも」じゃないか、棲み分けるのではなく、棲み合わせる、ということではないか、と。

現実的な工夫よりは、より原則的に、より非妥協的に、より威勢よく、より先鋭的に、より思い切った主張が、社会運動内部でも世間一般でも喝采を集めることがあります。そうなると、政治的・社会的力関係総体への地道な働きかけは、見えにくく、複雑でわかりにくいという理由から批判の対象とされます。見えにくく、複雑でわかりにくいのは、世の利害関係が多様で複雑だからなのであって、単純なものを複雑に見せているわけではなく、複雑だから複雑にしか処理できないにすぎないのですが、そのことに対する社会の想像力が低下していっているのではないかと感じます。


 テレビや新聞の断片的な情報と、それを受け取った際の印象で自分の判断を形成し、それがきわめて不十分な情報だけに依拠したとりあえずの判断でしかないという自覚がなく、各種の専門家の意見に謙虚に耳を傾けることもなく、自分と異なる意見に対して攻撃的に反応する。ツイッターでもブログでも、テレビのコメンテーターから中央・地方の政治家から、そして社会運動の中にも、このような態度が蔓延しており、信頼感と共感は社会化されず、不信感ばかりが急速に社会化される状態、他者をこきおろす者が、それが強ければ強いほど高く評価されるような状態、より過激なバッシングへの競争状態です。


 容易に転換しそうにないこの風潮をどうすれば変えることができるのか、私にはまだよくわかりません。ただ少なくとも、このような局面で社会運動が採るべき方向性は、バッシング競争で負けないためにより気の利いたワンフレーズを探すことではなく、許容量を広く取って理解と共感を広げていくために、相手に反応して自分を変化させ続けていくこと、政治的・社会的な調整と交渉に主体的にコミットすること、そして自分という存在の社会性により磨きをかけていくことではないかと思います。それが、私の考える「社会運動の立ち位置」です。

http://yuasamakoto.blogspot.jp/2012/03/blog-post_07.html